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<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<chapter xml:id="ch-sem">
<title>表現と内容</title>
<introduction>
<p>本章では、本稿で扱う最も基本的な概念として、表現と内容を定義し、これらの対応づけについて述べる。</p>
<p><xref ref="sec-sem-semiotics"/>節では、表現と内容を定義する。
<xref ref="sec-sem-code"/>節では、表現と内容を対応づける操作である、符号化と復号について述べる。
<xref ref="sec-sem-subject"/>節では、符号化と復号における主観性について述べる。
<xref ref="sec-sem-cardinal"/>節では、量の表現におけるアナログとデジタルについて述べる。</p>
</introduction>
<section xml:id="sec-sem-semiotics">
<title>表現と内容</title>
<p><dfn en="expression" r="ひょうげん">表現</dfn>とは、日本語の漢字や仮名、英語のアルファベットなどの文字、手話の身振り、点字、絵文字、顔文字、人間以外の生物が使う鳴き声、マーキングなどの、生命の<em>外側</em>にあるものをいう。
また、<dfn en="content" r="ないよう">内容</dfn>とは、印象、感情、認識、概念、イメージなどの、生命の<em>内側</em>にあるものをいう<xref ref="bib-hjelmslev-j"/>。</p>
<p>例えば、日本語の漢字である「菖蒲」は表現の例、頭の中に思い浮かべた「植物のショウブ(🌱)」は内容の例である。</p>
<p>ここで、ある<em>生命にとっての内容の「大きさ」</em>を、その生命にとっての<dfn r="かち">価値</dfn>という。
内容は思考の過程で思い浮かべるものであるため、<em>内容の「大きさ」、つまり価値は、客観的に測ることができない</em>。
一方で、文字による表現が1文字、2文字と数えることができるように、<em>表現の「大きさ」は、客観的に測ることができる</em>。</p>
<note>
<title>記号学</title>
<statement>
<p>本節の用語は、言語学者<ruby r="イェルムスレウ">Hjelmslev</ruby>によるものであるが、これは<ruby r="ソシュール">Saussure</ruby>の理論を発展させたものである。
Saussureは、本稿の「表現」にあたるものを<dfn strong="0" en="signifiant">シニフィアン</dfn>、本稿の「内容」にあたるものを<dfn strong="0" en="signifié">シニフィエ</dfn>と呼んだ<xref ref="bib-saussure"/><xref ref="bib-saussure-en"/><xref ref="bib-saussure-ja"/><xref ref="bib-machida"/>。
SaussureやHjelmslevの理論を基礎とする言語学の流派を<dfn en="semiology" r="きごうがく">記号学</dfn>といい、情報学と強く関係している。</p>
</statement>
</note>
</section>
<section xml:id="sec-sem-code">
<title>符号化と復号</title>
<p>人間もそれ以外の動植物も含め、生命は常に、見聞きした表現に対して内容を対応づけることで、その生命の外側にある世界の様子を理解している。
また、思い浮かべた内容に対して表現を対応づけることで、その生命の外側で内容を表現している。</p>
<p>ある内容が与えられたとき、その<em>内容に表現を対応づける</em>ことを<dfn en="encode" r="ふごうか">符号化</dfn>という。
逆に、ある表現が与えられたとき、その<em>表現に内容を対応づける</em>ことを<dfn en="decode" r="ふくごう">復号</dfn>という<xref ref="bib-hall"/><xref ref="bib-hall2"/>。</p>
<definition>
<title>符号化と復号</title>
<statement>
生命<m>i</m>が行う符号化を<m>e_i</m>、復号を<m>d_i</m>で表す。
<ul>
<li><m>\alpha = e_i(\beta)</m>となるとき、<m>i</m>は内容<m>\beta</m>を表現<m>\alpha</m>に<dfn en="encode" r="ふごうか">符号化</dfn>したという。また、<m>\alpha</m>を内容<m>\beta</m>に対応する表現という。</li>
<li><m>\beta = d_i(\alpha)</m>となるとき、<m>i</m>は表現<m>\alpha</m>を内容<m>\beta</m>に<dfn en="decode" r="ふくごう">復号</dfn>したという。また、<m>\beta</m>を表現<m>\alpha</m>に対応する内容という。</li>
</ul>
<md>
<mrow>\text{符号化} e_i \amp: \text{内容} \longrightarrow \text{表現}</mrow>
<mrow>\text{復号} d_i \amp: \text{表現} \longrightarrow \text{内容}</mrow>
</md>
</statement>
</definition>
<remark>
<p>「符号化」は<dfn en="code" r="ふごう">符号</dfn>を作ることから、英語では「code」に「en」がついて「encode」と呼ばれる。
「encode」に対応する単語は英語では「decode」だが、日本語では符号を元の形に<ruby r="かえ">復</ruby>す意味で「復号」となるので、「復号化」とは呼ばない。
また、数学で用いる「<m>\pm, \mp</m>」を複号というが、復号は複号とは別物である。</p>
</remark>
<example>
<title>符号化と復号の例</title>
<p><m>A</m>さんが「植物のショウブ(🌱)」を表現しようとして「菖蒲」という漢字を書いたなら、文字「菖蒲」は思い浮かべた「🌱」に対応する表現である(<m>e_A(\text{🌱}) = \text{菖蒲}</m>)。
また、<m>A</m>さんが「菖蒲」という漢字を見て、「植物のショウブ(🌱)」を思い浮かべたとき、思い浮かべた「🌱」は文字「菖蒲」に対応する内容である(<m>d_A(\text{菖蒲}) = \text{🌱}</m>)。</p>
</example>
</section>
<section xml:id="sec-sem-subject">
<title>主観性</title>
<introduction>
表現<m>\alpha</m>と内容<m>\beta</m>の対応づけは常に同じとは限らず、人それぞれ異なりうる。
人はそれぞれ、生まれてから今までに得た知識や、育った環境、考え方が異なる上、同じ人間でも、その日の体調や気分などにより、この対応づけは変わりうる。
どのような符号化を行うか、つまり<em>ある内容をどのような表現に表現するかは、内容を表現する人ごとに異なっており、絶対的・客観的に決まるわけではない</em>。
同様に、どのような復号を行うか、つまり<em>ある表現をどのような内容に理解するかは、表現を理解する人ごとに異なっており、絶対的・客観的に決まるわけではない</em>。
表現や内容が行為者の<em>主観により決定される</em>というこの性質を、符号化や復号における<dfn en="subjective" r="しゅかんせい">主観性</dfn>という。
</introduction>
<subsection xml:id="ssec-sem-objective">
<title>客観性と主観性</title>
<definition>
<title>客観性と主観性</title>
<statement>
表現<m>\alpha</m>を誰が復号しても同じ内容<m>\beta</m>になるとき、表現<m>\alpha</m>は<dfn en="objective" r="きゃっかんせい">客観性</dfn>をもつという。このとき、生命<m>i, j, k, \cdots</m>について次が成り立つ。
<md>
<mrow>d_i(\alpha) = d_j(\alpha) = d_k(\alpha) = \cdots = \beta</mrow>
</md>
表現<m>\alpha</m>が客観性をもたないとき、表現<m>\alpha</m>は<dfn en="subjective" r="しゅかんせい">主観性</dfn>をもつという。
</statement>
</definition>
<p>曖昧さのない記述が要求される<em>法令</em>の条文や、厳密な定義によって理論を構築する<em>論理学</em>や<em>数学</em>などの科学は、できるだけ高い客観性のある表現を用いることが求められる。
また、特定の図形と音の組において復号した結果が一致する確率が高くなる<dfn en="Bouba/Kiki effect" r="ブーバ・キキこうか">ブーバ・キキ効果</dfn><xref ref="bib-ramachandran"/>のように、一部の表現については、客観性が高くなることが知られている。</p>
<example>
<title>ブーバ・キキ効果</title>
<statement>
<ruby r="おん">音</ruby>象徴の一例とされる現象で、まず図<xref ref="fig-boubakiki-kiki"/>と図<xref ref="fig-boubakiki-bouba"/>を被験者に提示する。
そして、図<xref ref="fig-boubakiki-kiki"/>と図<xref ref="fig-boubakiki-bouba"/>のうち、どちらかが「ブーバ(Bouba)」、他方が「キキ(Kiki)」という名前であると伝える。
その上で、どちらが「ブーバ」でどちらが「キキ」だと思うかを、被験者に回答してもらう。
<sidebyside widths="30% 30%" valign="bottom">
<figure xml:id="fig-boubakiki-kiki">
<image source="image/boubakiki-kiki.png"/>
<caption>図形1</caption>
</figure>
<figure xml:id="fig-boubakiki-bouba">
<image source="image/boubakiki-bouba.png"/>
<caption>図形2</caption>
</figure>
</sidebyside>
このとき、どちらが「ブーバ」でどちらが「キキ」になるかという回答は、被験者の母語によらず、大きく偏ることが知られている。
これは、図形1,2を復号した結果が多くの人で一致しているため、客観性が高くなる表現の例だと考えられる。
</statement>
</example>
</subsection>
<subsection xml:id="ssec-sem-subjective">
<title>符号化と復号の主観性</title>
<p>実際には、客観性の高い表現は稀で、大抵の場合は人により符号化や復号の結果は異なる。</p>
<proposition>
<title>符号化と復号の主観性</title>
<statement>
<m>i, j</m>を生命、<m>\alpha</m>を表現、<m>\beta</m>を内容とする。このとき、
<ul>
<li><m>e_i(\beta) = e_j(\beta)</m>となる<em>とは限らない</em>(<em>表現</em>の対応づけ(符号化)の主観性)。</li>
<li><m>d_i(\alpha) = d_j(\alpha)</m>となる<em>とは限らない</em>(<em>内容</em>の対応づけ(復号)の主観性)。</li>
</ul>
</statement>
</proposition>
<example>
<title>復号化と復号の主観性の例</title>
<statement>
<p><xref ref="sec-sem-code"/>節で、「菖蒲」という文字を見た<m>A</m>さんは植物のショウブを想起すると述べた(<m>d_A(\text{菖蒲}) = \text{🌱}</m>)。
だが、「菖蒲」という漢字には「しょうぶ」と「あやめ」の2通りの読み方があり、「菖蒲」に当てはまる植物には、サトイモ科のショウブ(図<xref ref="fig-iris-1"/>)<xref ref="bib-iris1"/>とアヤメ科のアヤメ(図<xref ref="fig-iris-2"/>)の2種類がある。
また、「菖蒲」として一般的に知られているのは、アヤメ科のハナショウブ(図<xref ref="fig-iris-3"/>)である。
そのため、同じ「菖蒲」という漢字を見ても、<m>A</m>さんはショウブを想起し、<m>B</m>さんはアヤメを想起し、それぞれ別のものを思い浮かべるということが生じうる。</p>
<sidebyside widths="20% 30% 30%" valign="bottom">
<figure xml:id="fig-iris-1">
<image source="image/iris1.jpg"/>
<caption>ショウブ</caption>
</figure>
<figure xml:id="fig-iris-2">
<image source="image/iris2.jpg"/>
<caption>アヤメ</caption>
</figure>
<figure xml:id="fig-iris-3">
<image source="image/iris4.jpg"/>
<caption>ハナショウブ</caption>
</figure>
</sidebyside>
<p>従って、「<m>A</m>さんの内部で形成される内容(<m>d_A(\text{菖蒲})</m>)」と「<m>B</m>さんの内部で形成される内容(<m>d_B(\text{菖蒲})</m>)」は異なりうる(<m>d_A(\text{菖蒲}) \ne d_B(\text{菖蒲})</m>)。
たとえ<m>A</m>さんと<m>B</m>さんがお互い「通じ合え」たり、「共感」したりしているように感じても、それはお互いに、相手にとっての内容が自分にとっての内容と同じだと<em>思い込んでいるだけ</em>であり、実際には両者の内部で生じた内容が異なることが多い。</p>
</statement>
</example>
<example>
<title>感覚の多様性</title>
<statement>
復号の主観性が生じる原因は、人生経験や周辺環境、体調や精神状態などの後天的なもの以外に、先天的な感覚の多様性によるものもある。
例えば、色覚の多様性により区別して認識しやすい色が多くの人と異なる場合、赤色と緑色など、特定の色の識別が困難である。
また、感覚過敏や<dfn en="synesthesia" r="きょうかんかく">共感覚</dfn>を有する場合には、文字や音に対して色や温度を感じたり、明朝体の文字に刺激や苦痛を感じたりすることがある。
</statement>
</example>
</subsection>
<subsection xml:id="ssec-sem-comm">
<title>コミュニケーションにおける主観性</title>
<p>また次に示すように、<m>A</m>さんがある内容<m>\beta</m>を符号化して<m>B</m>さんが復号した場合に、<m>B</m>さんが元の内容<m>\beta</m>を得られるという保証もない。</p>
<proposition>
<title>コミュニケーションにおける主観性</title>
<statement>
<m>i, j</m>を生命、<m>\beta</m>を内容とするとき、<m>d_j(e_i(\beta)) = \beta</m>となる<em>とは限らない</em>。
</statement>
</proposition>
<remark>
<p><m>B</m>さんが復号した内容が<m>\beta</m>とは異なるとき、一般的に「<dfn en="misunderstanding" r="ごかい">誤解</dfn>が生じた」という。
「誤解」は「解釈を誤った」という意味だが、このときに解釈した側の<m>B</m>さんに責任があるとは限らず、<m>A</m>さんの表現に問題がある可能性もあれば、どちらにも非がないのに通じなかった可能性もある。</p>
</remark>
</subsection>
</section>
<section xml:id="sec-sem-cardinal">
<title>アナログとデジタル</title>
<p>量の符号化には、離散的な量に符号化するデジタルな表現と、連続的な量に符号化するアナログな表現がある<xref ref="bib-iso-2382-1993"/><xref ref="bib-iso-2382-2015"/><xref ref="bib-jisz8103"/>。</p>
<p>ものの個数や整数は、0の次は1、1の次は2であるというように、ある値の次の値が明確に定まり、その間の値は存在しない。
このように、ある量の値が「<em>飛び飛びに</em>」存在するとき、この量は<dfn en="discrete" r="りさん">離散</dfn>的な量だという。
離散的な量の例には、自然数の集合<m>\mathbb{N}</m>、整数の集合<m>\mathbb{Z}</m>、有理数の集合<m>\mathbb{Q}</m>がある。
ある内容を<em>離散的な量に表現</em>したとき、その表現を<dfn en="digital">デジタル</dfn>な表現という。</p>
<p>一方、液体の体積や実数は、0と1の間に0.5があり、0と0.5の間には0.25があるというように、2つの値の間にまた別の値が存在するため、ある値の「次」の値が何であるかをはっきり定めることができない。
このように、ある量の値が「<em>切れ目がなく</em>」存在するとき、この量は<dfn en="continuous" r="れんぞく">連続</dfn>的な量だという。
連続的な量の例には、無理数の集合や、実数の集合<m>\mathbb{R}</m>がある。
ある内容を<em>連続的な量に表現</em>したとき、その表現を<dfn en="analog">アナログ</dfn>な表現という。</p>
<note>
<title>濃度と連続体仮説</title>
<statement>
<p>集合の要素の個数を<m>\mathbb{N}</m>や<m>\mathbb{R}</m>のような無限集合に一般化した概念を、集合の<dfn en="cardinality" r="のうど">濃度</dfn>という。
有限個の個数しかない集合では、集合の濃度は要素の個数と一致するので、<m>\{2, 3, 4\}</m>の濃度は3である。</p>
<p><m>\mathbb{Z}</m>のように離散的な無限集合は、<m>\mathbb{Z}</m>の「1番目」の要素は0、「2番目」の要素は1、「3番目」の要素は-1、「4番目」の要素は2、というように、要素を数え上げることが可能である。
このような集合は「要素を<dfn en="count" r="かぞえる">数える</dfn>ことができる」ので、<dfn en="countable" r="かさん">可算</dfn>であるといい、可算集合の濃度を<dfn en="aleph zero"><m>\aleph_0</m></dfn>という記号で表す。</p>
<p><m>\mathbb{R}</m>のように連続的な集合は、もはや要素を数え上げることができない。このような連続集合の濃度を<dfn en="aleph"><m>\aleph</m></dfn>という記号で表す。
当然<m>\aleph_0 < \aleph</m>が成り立つが、「では、可算集合と連続集合の<em>間</em>の濃度をもつ集合は存在するか」という問題が生じる。
「可算集合と連続集合の間の濃度をもつ集合は存在しない」という仮説は<dfn en="continuum hypothesis" r="れんぞくたいかせつ">連続体仮説</dfn>と呼ばれるが、「通常の数学の枠組みでは連続体仮説の真偽を証明できない」ということが証明されている。</p>
</statement>
</note>
<p>アナログな表現をデジタルな表現に変換することを<dfn en="Analog-Digital transform">A/D変換</dfn>、デジタルな表現をアナログな表現に変換することを<dfn en="Digital-Analog transform">D/A変換</dfn>という。</p>
</section>
</chapter>